4月6日/母の愛

昨晩、夜中に右足のふくらはぎが痛みだしたかと思ったら、悪寒とともに震えが止まらなくなった。おそらく体調不良でピルを服用したせいだと直感的に思ったが、あまりに怖すぎて、歯をガタガタさせながら別室に眠る母の元にいった。深夜1時だったが、何事かと起きてくれて、事情を話したら暫く一緒に少し過ごしてくれた。すると、震えが止まり、心も落ち着いた。この年齢になっても母は母だ。

最近、恋人はやや鬱だ。仕事が急に打ち切りになったことをきっかけに毎日悩んでいた。救いたいけど、どんなに言葉を尽くしても抱きしめても彼の心を修復できなかった。先日Xで「どんなに愛する人がいても孤独感からは一生逃れられない。」という投稿をみた。自分で自分を赦して救うしかないのだ。でもその震えが止まるまで側で寄り添ってあげたい。母が私にしてくれたように。

4月4日5日/営業が苦手

営業をやらなければならなくなった。

しかし営業が苦手だ。今回の出張で実感した。

席について同僚が自分のプロジェクトや会社の話をし始めても毎回なんか他人事で「へ〜そうなんだ」と思うことばかりで(実際聞いたことがあっても)、メモを取ってるはずなのに吸収できてない。言いたいことも思いつかないので、話に入り込むこともできない。会食で自分の話もできない。

1日目が終わり、ホテルで眠ってたらストレスで悪夢を見た。

遠くの方から足音が近づいてくる、そいつがドアを開け部屋に侵入してくる。一旦部屋を物色し、またドアを開けて出て行く。それが何度も繰り返された。

 

あまりにストレスで、上司に営業やめたいニュアンスを醸し出したけどダメだった。

ならば営業のコツなど教えてもらおうと、同僚に聞くが、つれない態度。彼女は彼女で自分のノウハウや強みをおいそれとは渡してくれない。というか共有しなくてはならない情報を共有しないし、紹介しなければならない人を紹介しない。人の作った資料は平気で自分の手柄にするくせに。やはり、根本が意地悪で好きになれない。突然やってきた私が気に入らないのと、彼女は彼女なりに自分が評価されるために必死なのだろうが。

 

そんな時に、取引先のベテランの営業マンに出会った。仕事の話を一通りしたあとに私は自分の悩みを話してしまった。営業やりたくないんですと。

しかし、彼に言わせればすべて場数、経験らしい。人と話すことが苦でないのならば、営業に向いていると。

それは才能ではないかといった。だって、生まれた時からそんな人だったように見える。しかし、彼の経歴を聞くと納得した。最初は大手の自動車メーカーの営業マン、中小の人材派遣会社の営業、その後自分ともう一人で小さい会社を始めてそこでも営業をしている。色んな人に門前払いされ、クレームをもらった。それでも人と話すことが好きだと。

なんだか才能じゃないかといってしまった自分が恥ずかしくなった。もちろん向き不向きがあるが、彼の話に聞き入ってしまうのにはきちんとした理由があった。

私がなぜ営業が苦手かと言うと、給料が少ない仕事をがんばる覚悟が無いのと、意地悪な同僚を好きになれてないのと、自分のことをあまり分析できてないから。

だからインプットしてもインプットしっぱなし、なにかやってもやりっぱなし。理解と整理ができておらず、話が支離滅裂になるし、すぐに会話を打ち返せない。

ここまで理由はわかってるんだよなあ。あとはやるだけなんだけどどうしようか。

でも、この半年、自分の実力不足と同僚や上司からの言葉や態度で悔しい思いをたくさんした。自分の意思でここにきたし、期待もされているのであれば、あと半年だけ頑張ってみようかな。

4月3日/捨てる神あれば拾う神あり

最近、自分のやるべきが見えなくて、昨日上司に相談してようやく道筋が見えてきて、よし、がんばろうと思ったら

そのまた上の上司にはうまく報告できなくて、否定されてしまった

折角やる気になってきたのに、また朝起きるのがしんどくなる

 

ミーティングが終わったら彼氏が誕生日ディナーを用意して待っててくれた

嬉しい

 

しにたくなるときもあるけど、こうやって別の人に救われる

今年もそんな感じでなんとか生きてこ

4月2日/東京にはたくさんの人がいる

誕生日なので夜、ビストロに連れていってもらった。

ステーキまじ美味

電気が暗くなって、おっサプライズか!と思ったら、なんか花火のついたケーキがたくさん出てきた。

私達の席と隣の席とそのまた隣の席とそのまた隣の先に置かれ…

つまりどのテーブルもお誕生日席だったのだ!

実にめでたい!生命誕生の季節!

 

そのあとはバーに連れて行ってもらった。

ザ都会のバーである。

隣のテーブルで婚活中の男女がお互い探り探り気を遣いながら将来の話をしている。私はまだ聞き耳を立てたくなる田舎者だ。

洒落たカクテルの名前にツッコミながら二人でけらけら笑いあう。

 

節目の年だというのに、去年より焦りがない。

一緒に過ごしてくれる人がいるからなのか、東京のおかげなのか。何はともあれ昨年より確実に精神衛生が良くなっている。

ありがとう

 

 

文学フリマ/みんななにかをいいたくて

文学フリマに行ってきた。

そこらじゅうに人、人、人。

1440ブース。

全員何かを誰かに伝えたくてここにいる。

 

人の数だけ伝えたいといたいエネルギーがここにあると思うと、少しクラクラした。

 

「よかったら試し読みしてください。」

「フリーペーパーあります。」

通り過ぎようとする度に声をかけられる。

なんだかこのイベントはほかのマーケットイベントと違ってスルー力が退化する。

声をかけられる度に立ち止まってしまってなかなか進めなかった。

言葉という表現手段を使ってくる人をわたしはなんだか無碍にできない質らしい。

 

そんな風に牛歩でフリマを楽しんでいたところ、うつむき気味で自信なさげに出店されているおじさまがいた。

他の人と違ってぜんぜんお薦めしてこない。

なんとなく気になって本を手に取り立ち読みすると、絵に描いたようにそわそわし始める。

読んでほしいんじゃないのか、なにを恥ずかしがっているんだ

と偉そうにも思ったのだが、よくよく考えるとそりゃ恥ずかしいよな。

目の前で自分の心の中を見られているのだ。初対面の見知らぬ女に。

今は匿名で自己表現が手軽にできる時代だ。そこをあえて超えてきて、作品を自分の手で売る。

どれだけ勇気がいることだろうか。

それでもみんながここに集まる。自分がここにいることを叫んでいる。

 

そんなに深く考えないでいる人もいるかもしれないけど、やっぱりここにいるだけで尊敬してしまう。

いまだ踏ん切りのつかない自分にはキラキラしてみえた。

4月1日/デデデデを見に行った

今日の夜は映画を見に行った。

デットデットデーモンズデデデデデストラクションズ

漫画が完結する頃に友人に勧められ、別の友人から全巻借りて一気読みし、どハマりしていたので映画化を楽しみにしていた。

感想:非常におもしろかった

冒頭の巨大円盤が現れるシーン。映像と音響の迫力で、「あ、この映画すげぇ気合い入ってるわ」と感じ、つい姿勢を正す。

事前に見てた浅野いにおのインタビューで、足掛け5、6年とあり、浅野いにおがほぼ全ての工程に携わったと言っていた。数秒見ただけでこだわり抜いた作品だとわかる。

配役が有名アーティスト二人と聞いた当初は少しガッカリしていたのだが、心配無用だった。最初は、「あーあのちゃんだな」って見始めたものの、最後は完全にそこにおんたんがいた。すげぇ。中盤、巨大円盤がついに彼女らの日常を壊す事件が起こるのだが、その時の健気なおんたんの演技、ぶっちゃけ泣いた。

浅野いにおは思春期の"ただ平和な毎日を生きることに対するモヤっとした感情"、不謹慎にも"現状を変えてくれるようなとんでもない事件起きないかという想像"、そんな言語化できない・してはいけない気がしていた感情を代弁してくれる。でも、その根底には、そんなのは虚構かつ厨二病の短絡的な考えで、平凡な日常の愛しさ、日常を続ける努力の美しさを訴えかけてくる。

前編はサイコーの終わり方で、一緒に見に行った恋人もかなりハマっていた。後編まで待てないから漫画みようかなと言っている。

後編も楽しみである。

 

 

坂口安吾の恋愛論

まだ全然解釈できてないところ、

読解が未熟なところがあるが、

坂口安吾恋愛論の感想文

 

私は詩や短歌が好きなわけだが、安吾は、

「私はいったいに万葉集古今集の恋歌などを、真情が素朴純粋に吐露されているというので、高度の文学のように思う人々、そういう素朴な思想が嫌いである。極端にいえば、あのような恋歌は、動物の本能の叫び、犬や猫がその愛情によって吠え鳴くことと同断で、それが言葉によって表現されているだけのことではないか。」

といきなりぶった斬ってくる

 

私は恋愛詩のくだらなさが

大好きなのでこれには同意するが

動物の吠え鳴きと同じとは

割と言い得て妙で笑ってしまった

 

また、愛を表現する日本語について、

「惚れた、愛した、こう使いわけて、たった一字の動詞で簡単明瞭に区別がついて(中略)日本語の多様性は雰囲気的でありすぎ、したがって、日本人の心情の訓練をも雰囲気的にしている。(中略)人は恋愛というものに、特別雰囲気を空想しすぎているようだ。しかし、恋愛は、言葉でもなければ、雰囲気でもない。ただ、すきだ、ということの一つなのだろう。」

まぁつまり、

日本語の曖昧さゆえ、

日本人は愛について雰囲気的に

またかなり高尚化して

悟っている人が多いとケチをつけている()

私は日本語のそういうところが好きなわけだが、言っていることもわからなくもない

実際、日本人は愛をいかに言葉で表現するかに重きを置いており、

愛自体について深く考えている人は少ないと体感で思っていた

 

以前、

テレビで国際結婚したある夫婦の特集があった

旦那さんがフランス人で奥さんが日本人

旦那さんが、奥さんの理不尽に怒っている姿を見て

「ブチ切れてもいいよ。全部受け入れるから。愛は全部含めて愛。」

と言っていたことに衝撃を受けた

さすが愛の国、愛についての認識レベルが違う

日本の男性ならば大半が、「怖っ!!」で済ますだろう

また、その後のインタビューにて、

「家族は簡単に手に入るけど、ちゃんと家族を作ることはそんなに簡単に手に入らないと思う」

と。

はぁ、そうなんだけど、そうなんだけどさ、なんでそこまでわかってるんだ

こんなことで感動するくらいに

日本の愛についての認識レベルは低い

 

安吾

「人生においては、詩を愛すよりも、現実を愛すことから始めなければならぬ。」

ぐうの音もでない

 

 

でも、まぁそんなことを言われても

わたしたちは言葉を尽くして愛を表現することをやめられないだろう

それはそれでサイコーじゃないか

 

だっていにしえの時代からほとんどの人間が抱えて必ずぶち当たる悩み

いうなればただの生理現象だ

だけどとてつもなく人生に与える影響がでかい

自分にしっくりくる自分だけの特別な言葉を

見つけたいじゃないか

特別なものだって信じたいじゃないか

 

 

「何度、恋をしたところで、そのつまらなさが分る外には偉くなるということもなさそうだ。むしろその愚劣さによって常に裏切られるばかりであろう。そのくせ、恋なしに、人生は成りたたぬ。所詮人生がバカげたものなのだから、恋愛がバカげていても、恋愛のひけめになるところもない。バカは死ななきゃ治らない、というが、われわれの愚かな一生において、バカは最も尊いものであることも、また、銘記しなければならない。」

 

心のどこかで愚かだと気づいていても

毎回、馬鹿みたいに恋焦がれて想い悩む理由はここだ

このくだらなさこそ人生で恋愛なのだ

 

私の場合、恋をしたら必ず実らせたいと思わない

恋愛の攻略本とか心理学とかに全く興味が湧かない

恋愛についてずっと曖昧に悟って毎回等身大で悩んでいたいと思っている節がある

寧ろ愚かでいたいと思う

 

「恋愛は、人生の花であります。いかに退屈であろうとも、この外に花はない。」

人は飽きもせず、恋愛詩を書き、恋愛歌を聞き、恋愛映画やドラマを見て、自分でも恋愛をする

私を含めてみんなただただ人生に花を添えていたいだけなのだくだらなければくだらないほど美しい花を