君たちは月に行くことはないだろう

先日、ある講座を受けていたときに言われた言葉である。たしか、重力によって重さは変わるという話をしていた流れだった。

月だと重力が変わるので、重さも変わりますが、そのことは覚えなくてもいいです。

君たちは月に行くことはないだろうから。

鈍器で殴られるような衝撃を受けた。確かに行こうとも行けるとも思ったことはなかったが、そうやって改めて他人に言語化されると自分の可能性を否定されたようでショックだった。そして、反発したくなる。

「この人に私の何が分かるというのだ。だって、お金を払えば宇宙旅行はできる時代なんだし、これから私が猛勉強して宇宙飛行士になるかもしれないじゃないか。」と。

先日、野口聡一さんのJAXA退職の記者会見があった。その会見の質問の中で「月に行く可能性はあるか?」というものがあった。それに対して、野口さんは中居正広さんの言葉を引用し、「月は行けないとは思ってない。月に行く可能性は1~99%だと思っている。」と答えた。彼にとって月に行くことは、0%の事象ではないなのだ。彼の立場上、当たり前と言われれば当たり前なのだが、自分の父親より歳上の方より、自分の可能性を信じられてないなんて、なんだかとても悔しかった。

立場や環境は人の想像力を狭める。子供の頃は自由だった思考も、社会に適合するように無意識に矯正される。ある程度は必要なのだが、それ以上に適合してしまうと、まんまと狭い世界で搾取される人間になってしまうのだ。それは嫌だ。私は広い世界の中で、改めて月に行かないことを選択できるようになれるだろうか。

見知らぬ人に突然マスクを褒められた話

最寄りの駅から電車に乗る。

そのレーンに並んだのは私が2番目だった。
私はこの町に住み始めてからまだ2週間しか経っていない。先頭の右側に並ぶべきか左側に並ぶべきかわからず、とりあえず左側に就いたところ、3番目4番目にやって来た人が右側に並んでいったので、意図せずに私が先頭になってしまった。

しまったな。

電車が来てドアが開いたら、この初代先頭の方にしれっと先を譲るために少し待とう。信じてくれ初代。本来、私は順番を抜かすような人間ではないのだ。
内心ソワソワしながら電車を待つ。

電車が来るまであと少し…と念じていたとき、左側からおじさんが一人トコトコ歩いてきた。なんとなく気になって目で追っていると、おじさんは私の目の前で止まった。

イヤホンをしているので聞こえないが、私に向かって何かを言っている。
もしかして順番を抜かしたことを怒られてる?と思ったが、今ホームにやってきたばかりのこの人はその様子を見ていないよなと思い直す。
恐る恐るイヤホンを外すと、おじさんは私に向かって、
「かっこいいマスクだな。」
と言っていた。

カッコイイマスク?マスク?え?初対面の人にマスクを褒められてる?
私はその時、最近ではよく見かけるベージュの立体型の不織布マスクをつけていた。

「そうですかね」
「それいくらで売ってるの?」
「たしか5枚で500円でしたよ」素直に答えると
「そうなんか〜。かっこいいなあ。
……
これ、明治時代のマスク。」
おじさんは自分のマスクを指しながら言う。

おじさんのマスクを見てみるが、どっからどう見ても見慣れた白い不織布のマスクだ。

「明治時代?ほんとに?」
「ほんとほんと。」
「ええ〜」
「明治じゃなくて江戸だったかな。とにかく年代物」
「はぁ」
「ほんとだよ」
「そんなのどこで売ってるんですか?」
それと同時に電車がやってきてしまった。
おじさんは私の質問に答えることなく、ニコニコしながら電車の中に入っていった。

ええ、明治時代のマスクってなに…めちゃめちゃ気になるんだけど。どう見ても普通のマスクだったよなぁ。と思うも、既に電車の中に消えていったおじさんを追いかけて問いただすわけにもいかず、私も空いている席に座った。

そして、そこで気づく。
ちょっと待て、あのおじさん私の順番抜かして先に電車の中に入ったな。というか、私どころか初代先頭の人も抜かして入っていった。
おじさんはマスクの話題で私の気をそらしているうちに、誰よりも先頭を陣取っていたのだ。

うーん、やられた!と思う一方で、おじさんのその巧妙な手口に感心する。
たとえ口からでまかせでも褒められることは嬉しい。
それにどう考えても見慣れた不織布マスクを年代物のマスクと言いはるおじさんに笑ってしまったのも事実だ。
おじさんとの会話で、電車の待ち時間が少しだけ豊かになっていた。
なにより初代先頭に先を譲らねばという私の謎の緊張感も取り払ってくれていた。

私のような神経質な人間は、時たまこんな感じで憎めない図々しさを持つ人に救われることがある。

明治時代のマスクに思いを馳せながら電車に揺られる。