坂口安吾の恋愛論

まだ全然解釈できてないところ、

読解が未熟なところがあるが、

坂口安吾恋愛論の感想文

 

私は詩や短歌が好きなわけだが、安吾は、

「私はいったいに万葉集古今集の恋歌などを、真情が素朴純粋に吐露されているというので、高度の文学のように思う人々、そういう素朴な思想が嫌いである。極端にいえば、あのような恋歌は、動物の本能の叫び、犬や猫がその愛情によって吠え鳴くことと同断で、それが言葉によって表現されているだけのことではないか。」

といきなりぶった斬ってくる

 

私は恋愛詩のくだらなさが

大好きなのでこれには同意するが

動物の吠え鳴きと同じとは

割と言い得て妙で笑ってしまった

 

また、愛を表現する日本語について、

「惚れた、愛した、こう使いわけて、たった一字の動詞で簡単明瞭に区別がついて(中略)日本語の多様性は雰囲気的でありすぎ、したがって、日本人の心情の訓練をも雰囲気的にしている。(中略)人は恋愛というものに、特別雰囲気を空想しすぎているようだ。しかし、恋愛は、言葉でもなければ、雰囲気でもない。ただ、すきだ、ということの一つなのだろう。」

まぁつまり、

日本語の曖昧さゆえ、

日本人は愛について雰囲気的に

またかなり高尚化して

悟っている人が多いとケチをつけている()

私は日本語のそういうところが好きなわけだが、言っていることもわからなくもない

実際、日本人は愛をいかに言葉で表現するかに重きを置いており、

愛自体について深く考えている人は少ないと体感で思っていた

 

以前、

テレビで国際結婚したある夫婦の特集があった

旦那さんがフランス人で奥さんが日本人

旦那さんが、奥さんの理不尽に怒っている姿を見て

「ブチ切れてもいいよ。全部受け入れるから。愛は全部含めて愛。」

と言っていたことに衝撃を受けた

さすが愛の国、愛についての認識レベルが違う

日本の男性ならば大半が、「怖っ!!」で済ますだろう

また、その後のインタビューにて、

「家族は簡単に手に入るけど、ちゃんと家族を作ることはそんなに簡単に手に入らないと思う」

と。

はぁ、そうなんだけど、そうなんだけどさ、なんでそこまでわかってるんだ

こんなことで感動するくらいに

日本の愛についての認識レベルは低い

 

安吾

「人生においては、詩を愛すよりも、現実を愛すことから始めなければならぬ。」

ぐうの音もでない

 

 

でも、まぁそんなことを言われても

わたしたちは言葉を尽くして愛を表現することをやめられないだろう

それはそれでサイコーじゃないか

 

だっていにしえの時代からほとんどの人間が抱えて必ずぶち当たる悩み

いうなればただの生理現象だ

だけどとてつもなく人生に与える影響がでかい

自分にしっくりくる自分だけの特別な言葉を

見つけたいじゃないか

特別なものだって信じたいじゃないか

 

 

「何度、恋をしたところで、そのつまらなさが分る外には偉くなるということもなさそうだ。むしろその愚劣さによって常に裏切られるばかりであろう。そのくせ、恋なしに、人生は成りたたぬ。所詮人生がバカげたものなのだから、恋愛がバカげていても、恋愛のひけめになるところもない。バカは死ななきゃ治らない、というが、われわれの愚かな一生において、バカは最も尊いものであることも、また、銘記しなければならない。」

 

心のどこかで愚かだと気づいていても

毎回、馬鹿みたいに恋焦がれて想い悩む理由はここだ

このくだらなさこそ人生で恋愛なのだ

 

私の場合、恋をしたら必ず実らせたいと思わない

恋愛の攻略本とか心理学とかに全く興味が湧かない

恋愛についてずっと曖昧に悟って毎回等身大で悩んでいたいと思っている節がある

寧ろ愚かでいたいと思う

 

「恋愛は、人生の花であります。いかに退屈であろうとも、この外に花はない。」

人は飽きもせず、恋愛詩を書き、恋愛歌を聞き、恋愛映画やドラマを見て、自分でも恋愛をする

私を含めてみんなただただ人生に花を添えていたいだけなのだくだらなければくだらないほど美しい花を